「まだfacebook使ってるの?」は正論か

いや「彼」やその周辺の子たちにとっては「正論」に違いない。でも、そうでない「文脈(context)」があるのもまた事実。やっぱりこの手の記事を見るとダナ・ボイドさんの『つながりっぱなしの日常を生きる』を連想してしまう。

「まだfacebook使ってるの?」は正論か

いや「彼」やその周辺の子たちにとっては「正論」に違いない。でも、そうでない「文脈(context)」があるのもまた事実。やっぱりこの手の記事を見るとダナ・ボイドさんの『つながりっぱなしの日常を生きる』を連想してしまう。

子供だけではなく大人もそうだが、実は SNS ユーザは SNS で繋がっているのではない。『つながりっぱなしの日常を生きる』で言うなら人々は仲間内で共有される「文脈」で繋がっている。「文脈」を共有する手段として SNS がある。ここは重要なポイントである。故にユーザは SNS 間を容易に渡り歩くし、複数の SNS に渡って「文脈」を構成することもありうる。また一人のユーザが複数の「文脈」を切り替えて活動している場合もある。これは心理学的ないわゆる「ペルソナ(persona)」とは違うらしい。

これが最も悪い形で出てしまっているのが Facebook だ。

中学生くらいのときからカッコいいと思ってはじめたけど、今となってはテーブルを離れられない家族とのディナーみたいでひたすらウザい。しかも、やらないならそれはそれでもっと鬱陶しい。「みんなやってるのになんで持ってないの?」そういうプレッシャーがある。

Facebook はユーザ間の距離が近すぎる。密着しているといっていい。故に容易に「文脈」が誤配され誤読され汚染される。私たち大人は「そんなの当たり前じゃん」と思うし、むしろ誤配や誤読を楽しんでいる部分もあるが、子供たちはそうは思わない。だから(彼らにとって)汚染されてない場所(SNS)を探してあちこち渡り歩く。

Instagram はその点でよくできている。

まず、「いいね!」を押しても、ニュースフィードに上がって「いいね!」したことをからかわれる心配がない。だから、「いいね!」が押しやすい。コメントも同じだ。
フォロー返ししなければいけないプレッシャーもない。つまり自分のフィードが自分が実際に見たいものだけで成り立つ。興味のない無駄な情報をスクロールしまくるよりは、楽しめる内容だけ見れる方を使うのは当たり前だ。

Instagram では、ある写真を中心に仲間内で「文脈」が構成され、あらかじめそれを知っているのでなければ、誤配されることは少ない(ないわけではない)。最近は日本の芸能人が Instagram を使うのが流行ってるそうだが、芸能ゴシップにまるで興味のない私に、 Instagram で芸能人の活動が見えることはない。

Tumblr に対するこの比喩はナイスだと思った。

みんな見てるけど、だれも口にしない。秘密結社みたいなもの。本当の自分のままで、同じ興味を持った人に囲まれるような場所。サイトに個人情報が少ないおかげで、本当のなりたい自分になることができる。

ゲームのルールで最も肝要なのは「うまく降りれること」である。 Tumblr は簡単に上手に降りれる。

ちなみに私も Twitter は何がいいのかわからない。でも Twitter アカウントは今やメールアドレスと同等に私を identify する token となっている。名刺等に Twitter アカウントを載せるのは当たり前になってきてるし。喩えるなら、お墓みたいなものか? みんな私がそこにいるかのように認識するかもしれないが、本当は「そこに私はいません。眠ってなんかいません」だったりするわけだ(笑)

まぁでも、 Instagram や Tumblr が隠れ家的、秘密結社的に機能しているのもほんの刹那の間で、「大人」たちはすぐに嗅ぎ付けるのよ。そしてまた子供たちは見知らぬ「約束の地」へと旅立つ。誰しも経験あることだよね。ネット上の空間だろうと、物理的な社会空間だろうと。

個人的には Instagram が芸能人に嗅ぎつけられた時点で「そろそろ引き際かなぁ」とか思ったりする。代替えはまだ見つからないけど。