「健全な科学研究」って何?

学術フォーラム「科学研究における健全性の向上」が2月5日、日本学術会議講堂(東京・六本木)で開かれ、文部科学省が昨年8月に決定して今年4月から適用される研究不正防止・対応ガイドラインをどう実践していくか、悩ましい課題について議論した。冷たい雨や雪が降る中にもかかわらず、全国か…

「健全な科学研究」って何?

学術フォーラム「科学研究における健全性の向上」が2月5日、日本学術会議講堂(東京・六本木)で開かれ、文部科学省が昨年8月に決定して今年4月から適用される研究不正防止・対応ガイドラインをどう実践していくか、悩ましい課題について議論した。冷たい雨や雪が降る中にもかかわらず、全国から約400人が参加した。学術フォーラムとしては異例の大入り満員で、第2会場まで設けられ、この問題への関心の異様な高さを示した。

私が学生のころは「科学者」になるためには「訓練」が必要だった。それは「科学的にものを考える」ことである。実はこれ、けっこう難しい(だから諦めたんだけど)。当時は「科学的にものを考える」ことこそが科学者の倫理だった。現在は倫理を他人に押し付けること自体が忌避される。つまり科学の世界で「科学者の倫理」に期待すること自体が無理目な話なのである。この大前提をすっ飛ばして議論をしても、それこそ「机上の空論」になってしまう。

ヒトの思考は本来「科学的にものを考える」ようにできていない。もしできるというのなら「魔術」から「科学」へのシフトはもっと早く(おそらくは千年単位で)起きていたはずである。実際には、かの SF の大御所でさえ「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」などとふざけたことを言っている始末だ。しかし「科学」および「科学的にものを考える」ことはヒトが(ヒトのライフサイクルと比較して)気の遠くなるような長い時間をかけてやっと獲得した大事な資産である。これを放棄してはいけない。

個人的な印象で申し訳ないが、そろそろ「科学」はヒトの脳に依存するやり方から脱却すべきではないだろうか。脳が活躍するのは最初の発想の「ブートストラップ」だけでいい。そのためにはまず、手段(道具)とワークフローを可能な限り公有に置くべきだ。「ソフトウェア開発」は既にそうしているよ。

不正を「許さない」のではなく、誤りや不正はプロセスの中で(有意な時間で)自然に修正されるのが「健全な科学研究」だと思う。そうすれば STAP 細胞みたいな現代の「賢者の石」を探し求めて資源を浪費することもなくなる。

というわけで: